Prince From Another Planet / Elvis Presley

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明日、21日水曜日の夜はCRTエルヴィスまつり。今回は特に日本のロック・ファンに誤解されがちな1970年代エルヴィス・プレスリーの歌声を爆音で聞きたいなと思っているもんで。勝手に盛り上がってます。

1954年、19歳で地元メンフィスのローカル・レコード会社“サン”からデビューして。77年、42歳という若さで他界。エルヴィス・プレスリーのプロとしてのキャリアは、つまり23年間だ。これが果たして長いものなのか、短いものなのか。人によって感じ方はまるで違うと思うけれど。少なくともこの23年が、他のどんな表現者にも絶対に真似のできない、とてつもなく充実した23年だったことは間違いない。

50年代半ば、エルヴィスはブルース、ゴスペル、R&B、カントリーなど雑多な音楽要素を、雄大な才能と柔軟な感覚でまるごと呑み込み、凄まじいセンセーションとともにシーンに登場した。楽曲そのものはカントリー・ブルースといった手触りの「ハートブレイク・ホテル」、穏やかで牧歌的な「ラヴ・ミー・テンダー」、ハードなR&B「ハウンド・ドッグ」や「ワン・ナイト」、ニューオーリンズ・ジャズの方法論も取り入れた「冷たい女」など、様々なジャンルの楽曲がこの時期、若きエルヴィスの歌声にかかるとすべて新種の若者音楽“ロックンロール”へと昇華してしまった。

その後、58年に米陸軍に入隊し、ドイツでの2年の駐屯生活を経て活動を再開した彼は、前述したような様々な音楽性を再度ひとつひとつ分離させ、曲ごとにそれぞれの味を使い分けながら類まれなる“うまさ”を発揮し始めた。ロックンローラーとしての魅力はそのまま、カンツォーネをアレンジした「イッツ・ナウ・オア・ネヴァー」や「サレンダー」、カントリー・バラード「今夜はひとりかい」、ドイツ民謡をアレンジした「さらばふるさと」、クラシックを下敷きにした「好きにならずにいられない」など、幅広く、絶妙な歌心を聞かせるようになった。こうして普通だったら共存しえない“ロックンローラーとしての味”と“ポピュラー・シンガーとしての味”を見事に併せ持つ、まさに“キング”へとエルヴィスは成長していった。

そして60年代末から70年代。エルヴィスは誰にも真似できない彼ならではの雄大な“幅”はそのまま、同時にもう一度強烈に自らの本当のルーツを意識するようになった。この時期エルヴィスが取り上げたレパートリーは「プラウド・メアリー」「ポーク・サラダ・アニー」といった南部ロックンロールから、「君を信じたい」のようなポップ・カントリー、「この胸のときめきを」のようなカンツォーネ、さらに「見果てぬ夢」「マイ・ウェイ」のようなスタンダードまで、とてつもなく幅広い。が、そんな一見雑多な楽曲群を取り上げながらも、しかしこの時期のエルヴィスの歌声はどれもひたすらブルース的であり、カントリー的であり、ゴスペル的だ。まるで悲劇の旅立ちの日を予感しながら、その瞬間に向かって持てる力のすべてを自らの立脚点へとふたたび凝縮していこうとしていたのでは、とさえ思えるほどだ。

黄金の23年間を大ざっぱに分けるとすればこの3期間。今、21世紀の視点でこうしたエルヴィスの活動歴を振り返ってみると、時代時代のコンテンポラリーなシーンにもっとも刺激的な影響を与えたのは当然第1期。音楽的/精神的、両面でロックンロールという新スタイルの生成に直接、大きく貢献した50年代のロックンローラー時代ということになる。この時期のエルヴィスの影響に関しては今さら改めて語る必要もないだろうが。

とともに見逃してはいけないのが、最後のディケイド。こと音楽的な面で、この時期のエルヴィスがシーンに与えた影響は深い。まあ、世の中はサイケデリック・ロック、アシッド・ロック、ニュー・ロック、アート・ロックの時代。ウッドストック・フェスを頂点に、ロックで世界を変えられるんじゃないかという共同幻想が渦巻いていた。そんな時代にエルヴィスは派手なジャンプスーツに身を包み、ラスベガスを中心にディナーショー形式でコンサートしていたのだから。古い時代のミュージシャン代表のように思われていたのも仕方ない。

でも、そうした表層的な視点を捨てて、当時のエルヴィスが残した音源そのものに耳を傾ければ、彼が何を目指していたのか、見えてくるはず。特にライヴではジェームス・バートン、ロニー・タット、グレン・ハーディン、ジェリー・シェフという屈強の4リズムを核に、白人黒人混成の大コーラス隊とオーケストラを配した大編成バンドを従え、南部の伝統的なレヴュー形式の基本をポップ音楽の世界へと大胆に導入。今なお伝説として熱く語られるジョージ・ハリスンの『パングラデシュのコンサート』にせよ、レオン・ラッセルとジョー・コッカーが組んだマッド・ドッグズ&イングリッシュメンにせよ、エリック・クラプトンもぞっこんだったデラニー&ボニー&フレンズにせよ、ボブ・ディランのローリング・サンダー・レヴューにせよ、70年代、アメリカ南部に意識的な熱いまなざしを送ったアーティストたちが憧れたビッグ・コンボ編成の典型がここにある。

そしてスタジオ録音では、エリア・コード615に属していた顔ぶれを中心に、当時のナッシュヴィルの気鋭ミュージシャンたちとがっちりタッグを組み、彼の死後、80年代になってから新たな黄金時代を迎えることになるコンテンポラリー・カントリーや、90年代以降存在感を増したオルタナティヴ・カントリーのルーツとも言うべき躍動的なサウンドを作り上げた。

極端に言えば、デビュー直後から他界するまで、いや、他界してからもなお、アメリカのポップ音楽シーンはエルヴィスの手の中にあったということだ。そんなエルヴィスの最後のディケイドを象徴する伝説のマディソン・スクエア・ガーデン公演の模様を収めた強力な盤が出た。それが今回ピックアップした3枚組『Prince From Another Planet』だ。

1972年6月9日から11日まで、エルヴィスはテレビ出演以外で初のニューヨーク公演を行なった。会場はマディソン・スクエア・ガーデン。3日間で4回のショーが開かれ、8万人を動員。そのうち10日夜のステージがライヴ・レコーディングされ、アルバム『エルヴィス・イン・ニューヨーク(Elvis: As Recorded Live At Madison Square Garden)』としてリリースされた。60年代半ば以降、ポップ・シーンの最前線から姿を消し、主に映画を活動の場に据えていたエルヴィスだったが、68年に伝説のTVカムバック・スペシャル番組『エルヴィス』の成功を契機に再び生身の観客の前に復帰。69年からはコンサートを中心に新たな黄金時代を築いていった。そうしたライヴ活動が勢いに乗り始めた時期の記録だったこともあって『エルヴィス・イン・ニューヨーク』は大いに話題を呼び、アメリカでトリプル・プラティナムを獲得。全米アルバム・チャートで11位まで上昇した。

さらに、同じ10日の昼のステージも全編録音された。当初は未発表のままだったが、そこからいくつかの曲が死後、レア音源集のようなものに収められて登場。夜の部に負けないソウルフルなパフォーマンスがファンの間で話題を呼び、全編の発売が待ち望む声が高まった。そんな期待に応えるようにして、1997年3月、ついに昼の部の全貌が『アフタヌーン・イン・ザ・ガーデン(An Afternoon In The Garden)』としてリリースされた。

そんな伝説のマディソン・スクエア・ガーデン公演から40周年を祝って編まれた本アニヴァーサリー・エディションは、ディスク1に昼の部、ディスク2に夜の部のパフォーマンスを収め、さらにファンが撮影した当夜の模様を含む貴重な映像群を詰め込んだDVDを加えた感動の3枚組だ。

ライナーも素晴らしい。パティ・スミス・グループの一員としても知られるシンガー・ソングライター、レニー・ケイがこのライヴの意味、意義、背景、歴史的位置づけなどを見事に記している。音楽評論家の経験もある彼が、自らの地元であるニューヨークへとやってきたエルヴィスの姿を克明に綴った素晴らしいライナーだ。あ、ちなみに、国内盤にはぼくも文章を寄せさせてもらいました。すんません。レニー・ケイの素晴らしい文章を邪魔しないよう、曲目解説に徹してます(笑)。